世界遺産・国宝
世界遺産
平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群
中尊寺
天台宗東北大本山の寺院。奥州三十三観音番外札所。
山号は関山(かんざん)、本尊は釈迦如来。寺伝では円仁の開山とされる。
実質的な開基は藤原清衡。 奥州藤原氏三代ゆかりの寺として著名であり、平安時代の美術、工芸、建築の粋を集めた金色堂を始め、多くの文化財を有する。
境内は「中尊寺境内」として国の特別史跡に指定。
毛越寺
天台宗の寺院。現在の本尊は薬師如来立像。建築は平安様式。
境内は「毛越寺境内 附 鎮守社跡」として国の特別史跡、庭園は「毛越寺庭園」として特別名勝に指定。
観自在王院跡
平泉に藤原基衡の妻が建設した寺院跡。
境内跡は「毛越寺境内 附 鎮守社跡」の一部として国の特別史跡、庭園は「旧観自在王院庭園」として国の名勝に指定。
毛越寺に隣接。1189年以後は荒廃し水田となっていた。 約160×260mの南北に延びる寺域の北部に2つの阿弥陀堂があり、中央部に園池があった。その寺域にある平安時代末期の庭園を発掘・復元。数少ない平安時代の庭園遺構として評価。
無量光院跡
無量光院は、藤原秀衡が京都の平等院を模して建立した寺院。
当時は平等院の規模をも上回る煌びやかな寺院であったが、奥州藤原氏の滅亡以降、度重なる火災で焼失し、今日では土塁や礎石、池跡が残るのみ。跡地には水田と松林が広がっている。発掘調査によって、本堂や庭園の規模や配置が明らかになり、「吾妻鏡」(吾妻鏡は、鎌倉時代に成立した日本の歴史書)の記述が裏付けられた。中島と池の復元・整備が進められている。
金鶏山
中尊寺と毛越寺のほぼ中間に位置する都市平泉の空間設計の基準となった信仰の山
「おくのほそ道の風景地」
<三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたに有り。秀衡が跡は田野に成りて、金鶏山のみ形を残す。 — 松尾芭蕉、『奥の細道』>の1つとして国の名勝に指定された。
奥州藤原氏3代秀衡が、宇治の平等院を模して建立した無量光院の西側に一晩で築かせたとの伝説が残る。名称は山頂に雄雌一対の金の鶏を埋めたことにちなむと伝わる。
伝説の金鶏を求めて頂上付近が盗掘された際に、経塚であったことを示す銅製経筒や陶器の壺・甕などが掘り出されている。
麓には藤原三代の位牌、秀衡の木像などが安置されている千手堂、源義経妻子の墓と伝えられる五輪塔、平泉文化遺産センター、花立廃寺跡(特別史跡)がある。
明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業
橋野高炉跡
釜石市橋野町に所在する高炉跡。国の史跡に指定。
世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産。
水戸藩の那珂湊反射炉に大砲用の銑鉄を供給するため南部藩によって建設。
橋野高炉へ鉄鉱石を供給していたのが橋野鉄鉱山。
高炉から南へ2.6kmの大峰山麓北西谷間に採掘坑跡があり、その間に断片的に運搬路跡も残る。
国宝建築
中尊寺金色堂
中尊寺山内にある平安時代後期建立の仏堂。
奥州藤原氏初代藤原清衡が1124年建立、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、当代の技術を集めたものとして国宝に指定。
鉄筋コンクリート造の覆堂内にあり、ガラスケースに納められて外気と遮断。
「金色堂 上下四壁は皆金色なり」の記載があり、当時から「金色堂」と称されていた。